真田丸関連として 徳川のネタ。
徳川家康は三浦按針(ウィリアム・アダムス)と耶楊子(ヤン・ヨーステン)を顧問に江戸の都市開発を進めた。
ヤン・ヨーステンはイギリス人ウィリアム・アダムスとともに1600年4月19日豊後国に漂着し、その後徳川家康に信任された
分け隔てなく人材を登用していこうと言う徳川家康の器量が見て取れます。
ヤン・ヨーステンは江戸城の内堀に屋敷を与えられ、その場所が日本名の耶楊子(やようす)から
「八代洲」になり、現在の「八重洲」に変わったとの言い伝えです。
昭和初期、東京駅周辺の地名を見直す動きがあり、
・東京駅の東側を八重洲
・東京駅の西側を丸の内
とするようになったようです。
つまり、地名の由来はヤン・ヨーステンなのですが、少し八重洲自体が移動してしまったのですね。
ウィリアム・アダムス
子どもの名前、今でもつかえそうな名前だな~
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